礼拝説教(田島靖則牧師):「教え、伝え、奉仕する」2009年8月9日(日)

bokushi_01.jpg 聖霊降臨後第10主日 マルコ66b13

   「教え、伝え、奉仕する」

 

 「学生割引=学割」という制度は、大変ありがたいものです。かつて長い学生生活を経験した私のような者にとりましては、JR の学割料金や、映画館・美術館の学割入場券から、散髪屋の学割料金まで。とにかくあらゆる学割のお世話になってきたわけです。

 ちょっと前にテレビを見ていましたら、最近は新手の学割が登場しているというレポートが放送されていました。それは、「美容整形」の学割なんだそうです。「あなたも、進学や就職を前にしてちょっと美容整形してみませんか?」というようなキャッチフレーズで、学生向けの美容整形が格安料金でできるということでした。

 「進学や就職のための美容整形」とは一体何なのか?と思われるかもしれませんが、最近ではこれも決して珍しいことではないようです。以前新聞記事で「やっぱりあった容姿端麗テスト!」というような見出しで、ある会社の就職試験には、面接の評価基準のひとつとして「容姿」の善し悪しが見られているということが報告されておりました。つまり、「就職のための美容整形」が成立する土壌はやっぱりあるということです。また最近では、大学受験を控えた子供を持つ親が、子供を美容整形に連れていくというような話も耳にいたします。勉強面での努力の他に、受験の勝敗を分ける要因があるとすれば、それが面接試験の第一印象であるということのようです。 

 少し前なら「親からもらった大切な体に何ということを!」という反応もあったのでしょうが、今はその「親」が子を美容整形に連れていく時代なんですね。

 こうして「人間の持つ個性」というものは徐々に薄められていきます。クローン製造などを可能にする現代のバイオテクノロジーが、遺伝子レベルで未来の子供たちの容姿や能力を操作し始めることも、あながちないとは言えない状況になってきていると思うこの頃であります。

 さて、本日私たちに与えられました福音書の日課は、主イエスが12人の弟子たちを、宣教の旅に送り出すという記事を伝えております。イエスは「汚れた霊にとりつかれて苦しむ人=つまりは自分ではどうすることもできない精神的・心理的苦しみを抱えている人」や病気に悩む人たちに、「神様の慰めの知らせ=福音」を伝えるために、12人の弟子たちを各地の村々に派遣いたします。

 弟子たちにとりましては「プロの伝道者・牧会者」として、ここが勝負の為所であります。聞く耳を持たない人たちに、どうやってこの「キリストの良い知らせ」を伝えるのか?様々なしがらみに捕らわれている人に、どうやってそこからの解放を告げ知らせるのか?人々の目を引くような服装をするべきか?人々が目をとめるような持ち物を持っていくべきか?いざというときのために、たくさんのお金を用意するべきか?色めき立つ弟子たちを前にして主イエスは言われます。

「旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物を履くように、そして『下着は二枚着てはならない』」。

 「ただ杖一本持って、履物を履いたら出かけなさい!」とイエスは言われます。何と禁欲的な命令だろうか?と思われるかもしれません。なぜ主イエスは「杖一本と履物だけ」で行きなさいと言われたのでしょうか?禁欲的であることが神様のめがねにかなうことだからでしょうか?禁欲自体が、一つの積極的な修行なのでしょうか?

 そうではないでしょう。主イエスがここでおっしゃっていることは、あなたは様々なものの力を借りなくともよい。あなたはあなたのままで生きることができる。あなたは、そのままで勝負することができる!ということであります。

 マタイによる福音書の中で、「空の鳥や野の花がどうであるか見てごらんなさい!」とイエスは言われました。

 「あなたは杖一本と履物一足で十分に勝負できる!」このことを忘れてはならない!と主イエスは言われるのです。

 そうして、杖一本と履物一足だけの出で立ちで旅に出た弟子たちの「勝負の結果」はどうだったでしょう?

 紆余曲折、数しれない挫折を経て、弟子たちの蒔いた「福音の種」は、2000年経った今、世界中のキリスト教会を通して私たちを支え、励まし、癒す力となって実を結んでいます。

 私たちの教会は、「たった一本の杖と一足の履物」から始まったのです。

 この私たちだって「杖一本と履物だけ」で勝負できる。

 なぜならば、私たちを人生の旅に送り出してくださった神様が、私たちの「後ろ盾」であるとキリストは言われるのですから。

 私たちはしばしば「徒手空拳」で人生の荒波をかき分けて生きているように思います。

 しかし私たちには、「杖一本と履物一足」に加えて必要な様々なもの、様々な協力者が与えられています。

 私たちもあの弟子たちのように、「不足は補われること」を信じて、日々生きる者になりたいと思います。

 

コメントする

トラックバック

トラックバックURL: http://www.www.www/mt/mt-tb.cgi/8